さて、いつもは一人称に「先生」を使うのがほとんど常ですが、今日から少し「私」も使うことにします。その理由のひとつは、これから「私」が今のところ仮に身を置いている業界の大先生たちのことを書くとき、混乱を防ぐためです。
そもそも、「私」がなぜ一人称に「先生」を使っていたかと申しますと、その理由は、これはちょっと簡単にはお話できません。それは私の自我に関わる問題だからです。思えば「私」が、自分は本当は〈私〉ではなく世界的教授スミルノフなのだと自覚したのは今を去ること5年前の5月でした。実際にはKGBの追求から逃れるため、周囲にはそのことを隠し、日本のしがない平凡な大学教員として隠遁生活を送っているわけです。しかし、そのような隠遁生活も5年以上にもなりますと、〈私〉は本当は「私」ことスミルノフ教授であるのだということを1日24時間自覚し続けることがなかなか難しくなってきます。そして時々、執筆中のエントリーの中に〈私〉が現れてしまうことがしばしばとなります。それを防ぐため、「私」の代わりに敢えて「先生」を使っていた、それがひとつの理由ではありました。
今日は冒頭で申し上げたように「私」を使うわけですが、ですから、「私」という一人称の使用には、〈私〉の出現を防ぎきれない、という危険を孕んでいるのです。
さて、本日の本題に入ります。実を言いますと、本日も、ここに何かを書く気分にはひとつもなれないんですが、じゃあどうしてこんな文章を書いているかと言うと、一昨日、某医科大学I教授に久しぶりにお会いした際、
「どーしたの、最近全然更新しないじゃない」
と言われたからであります。
え、何なの。みんなそう思ってるのかな。別にいいじゃない。ここ更新するのって結構面倒くさいんだよ。何となく脊髄反射的に書いちゃいけない場所って気がしちゃってるのね。で、更新してないじゃない、って言うけど、SueMe SubLogは結構更新してるし、写真を撮りに行ったら必ずKayaSumi PhotoLogにアップしてるし、それから最近あまり見てないけどmixiだってたまに書くし、2chはほとんど見てないけど、Twitterや Feecleにも顔出してるし、tumblrも使ってる。だから、結構ネットのヘビーユーザーにしてみれば、スミルノフ教授最近見ないんじゃない?ってことは全然ないと思うのね。例えば、「私」の知ってる人で言えば、アニさんとか、dedchinkoさんとか、nonbitさんとか、本拠地、つーかかつての本拠地は死んでるようでいても、いろんなところでその活発なお姿を拝見することができるわけですよ。
ま、でもお忙しい某医科大学麻酔科I教授にそこまでして元気な私を探しなさいというのも無理な注文ですから、先生のために、いやいや仕方のない更新をしてるのですよ。
え?某医科大学麻酔科I教授って誰のことかって?そんなこと聞くのは業界の方だけだと思いますけど、現在は〈私〉の母校の教授であり、〈私〉がその大学を卒業後長く籍を置いた某医科大学麻酔学講座のかつての先輩だったこの方です、ということは、次の某大学麻酔科准教授T先生のブログをご覧になれば、もうバレバレです。
つーわけで、もうこの辺からは完全に業界内輪話と化してしまうのですが、それならもう某I教授とか某T准教授とか、なんだか面倒くさくなってきましたので、要するに旭川医大の岩崎先生が遠路はるばる金沢まで講演にいらっしゃったということが金沢大学の坪川先生のブログに書いてあります、ってな感じで、いっそ実名で書いちゃうのですが、いいじゃん、業界内輪話なんだから。
で、その坪川先生ですが、非常に優秀な先生であるってことは、彼のブログ、AP通信—中途半端日記—を見れば一目瞭然なんですが、なんと彼は、この本にも名前を連ねるツワモノなのです!
すごいっすよ、「カリスマ医師10人 治療革命報告」ですからね。ところがね、ここから腹立たしい話になってくるのだが、彼はこの10人の中に入ってるわけではないんだ。(5)心臓病 手術成功率世界一の「神の手」であるところの某大学W教授の項に、その手術の麻酔科医として出てくるのだ。いやー、もう俺はねえ、名医名医神の手って外科医ばっかりが出てくるのにうんざりなんだよ。そりゃあW教授ってぇのは、この目で見たわけではないが、たしかに手術はうまいんだろう。でもこのW教授がマスコミ相手に売りにしてるひとつが、全身麻酔ではなく「局所麻酔」で意識のあるまま心臓手術をするってことなんだ。これが俺はちょっと気に食わない。そしてここには坪川先生が硬膜外麻酔を苦労しながら慎重に行う姿が描かれている。いいか、すなわち「局所麻酔」で意識のあるまま心臓手術ができるってぇのは、坪川先生のおかげなんだよ。偉いのは坪川先生の方じゃん!おい文芸春秋、麻酔 心臓手術を局所麻酔で行う「神の手」の麻酔科医、って別項目にしろや。
しかし、そのような怒りはおいといて、自分の知ってる同業者の名前をこんなメジャー誌に見つけることは嬉しいことだった。それで、この10月号が出てすぐぐらいに彼に会ったとき、
「先生ー、文芸春秋に名前出てましたねー」
と声をかけたんだが、彼は飄々として、
「いや、それ見てないんですよ」と返してきた。しかもそんなことにはこれっぽっちも関心がないとばかり、急に俺のことを話題にし始めた。
「それよりも、さっき阪大の萩平先生に会ったんですけどね、先生の名刺を自慢げに見せてましたよ」
この名刺というのは、もちろん「私」ことスミルノフ先生の名刺である。これはね、なかなか貴重な名刺ですよ。最近はめんどくさくて作ってないですからね。広島の讃岐先生とか、鹿児島の上村教授とか、限られた人しか持ってないんじゃないかな。はっはっは。
いや、はっはっは、どころじゃない。これは由々しき問題だぞ。みんなどうして〈私〉に「私」として話しかけるんだ?こんなことでは、KGBの追っ手がすぐに来てしまうに違いない。〈私〉はもっと地味であまり人前に出ない仕事に就くべきなのではないだろうか、そう思いながら、俺の秋の1日は暮れていくのであった。
追記:これを書いたちょうど2年後、「私」はほんとうに、地味であまり人前に出ない仕事に就いた。



Comments
そろそろ迎えに行ってきますby堕天使
>ちりん
>私は人称代名詞でしょう
ちっ、せっかく哲学的な意味深い質問をしているのに。
記憶,戻りました?
(身内ネタに乱入してすいません。
空気読むの面倒なので。)
少しマシー
こんなところでいいんだろうか。
いや、私めなぞ偉大なるスミルノフ教授の身内でもなんでもないと思いますが・・・
>この名詞というのは、もちろん「私」の名詞である。これはね、なかなか貴重な名詞ですよ。(最後から2段落目)