愛・蔵太さんの以下のエントリーを呼んで、先生の業界のことを思い浮かべた。
■世の中で「あまり知られていないモノ・コト」を知ってもらうために、ぼくがやっている2つのこと
その愛・蔵太さんが情報収集としてやっている2つのこととは、
1.「はてなダイアリー」で登録され、一定期間継続しているダイアリーは、全部、最低トップページだけは眼を通す。
2・世の中に「書籍」という形で提供されている本は、全部、最低タイトル・著者名だけは眼を通す
そしてこれを、そんなに難しいことではない、毎日コツコツ農耕作業的に拾っていけばいいだけの話だと、さらりと言いのけている。
思えば、先生の業界でも、このようなとりあえず全部見るという視点が欠けているような気がします。
例えば先生が研修医の頃、輸液・電解質について学びたいと思ったら、スクリブナーが書いた「体液-電解質バランス」しかなかった。酸塩基平衡について知りたかったら、本田良行先生の「酸塩基平衡の基礎と臨床」しかなかった。これは2冊に別れた分厚い立派で難解な本で、全然分からないんだけど、理解できないままに化学式とかをとりあえず読み進めていくしかなかった。分からないのでもう一度読むんだが、やっぱり分からない。最後まで分からないんだけど、そのうちに、おぼろげながら、こうなのかな?という自分なりの理解が漠然と生まれてくる、そんな感じだった。
それから、麻酔科指導医試験なんてのもほとんど情報や資料がなかったから、「新臨床麻酔科学」だっけ、なんかそんな名前の分厚い教科書を頭から読んでいくというのが定番の勉強方法だった。
そういえば、今ではすっかり有名になられて、先生が紹介した本も売れ行きが好調な當瀬先生ですが、大学院生として某薬理学教室に入ったばかりの頃の苦労話を聞かせていただいたことがあります。
その薬理学教室では、伝統の厳しい抄読会というものがあるのですが、これは例えばお前はNatureね、俺Science、というふうに、それぞれに担当が決められて、その月の号の中から教室の研究に重要だと思われるものをピックアップしてダイジェストを発表するというものでした。もちろん、大学を卒業したばかりの當瀬先生であっても、容赦はありません。あ、君はAJPのHを担当してね、と言われました。まだAJPと言われてもピンとこない頃の當瀬先生です。ま、American Journal of PhysiologyのHeart and Circulatory Physiologyのパートのことなんですが、ご存知の方はご存知でしょうけど、AJPってHパートだけでやたらぶ厚くて、月に論文が70個ぐらい載ってたりするんですよ。それで、もう10年20年のベテラン研究者なら、アブストラクトだけを斜め読みして、これとこれなんか面白そうだなあ、なんてセレクトできるんでしょうけど、当時の當瀬先生は、卒業したばかり、まだまだ学生と言っても言い過ぎではない状況だったんです。もちろん、題名を見ても、要約を見ても、さっぱり何についての研究か分かりません。それで當瀬先生はどうしたかというと、いや、他に方法はないんですけど、図書館にこもって、英和辞典を片手に、最初のページから一語一語辞書を見ながら訳していったそうです。皆さん、これが世界に通ずる生理学の教授で、現・医学部部長のスタートだったのですよ。
ところが今や、特に麻酔科は多くの初期研修医が回ることもあって、マニュアル的で要点を分かりやすくまとめたハンドブック的な本が異常に多い。ほとんどの研修医はそれで済ませています。我々にも、そのような分かりやすい講義、分かりやすい指導が求められます。出版社からも、「分かりやすいチョメチョメ」とか、「チョメチョメのここがポイント」なんて本の執筆依頼ばっかきます。
そこで先生は決めました。もう、そういう本の執筆はしません。通常、出版社からの執筆依頼には、執筆の許諾を知らせる「諾・否」と書かれたハガキがついていて、普通はもちろん「諾」にマルつけて出すのが慣例なんですが、最近立て続けに「否」にマルつけて出してます。そういうことってあまりないらしく、そうすると、出版社からは予想外の出来事に慌てふためいた様子のメールまたは電話が即行できます。とても痛快です。
先生は疲れました。何かを知りたいと思ったら、面倒でも原典に、古典に、スタンダードにあたってください。自分が苦労をして読み砕いたエッセンスを、そう簡単に明かしてしまうことに疑問を感じるようになりました。心の底から本当に知りたいと思っている相手ならまだしも、初めからエッセンスだけを求めている輩(やから)に、何を与えましょう。
これから先生は、君たちの要望にとらわれずに、ただ自分の知りたいことだけを追っていくこととします。


Comments
それが無いと現実がさっさと回らないという現場の情けなさがあるのです。しかし底辺の底上げにマニュアルという方法を取らざるを得ないことが腹立たしく思います。