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全くの思いついた草稿。

私の大ボスは、「労働と思うなよ、これは仕事だ、仕事と労働は違う、働かされてると思うな」というのが口癖だった。

仕事とは何だろう。能動的なのが仕事で、受動的なのが労働=奴隷だろうか。これはやりがいのある道、これこそ私の天職とその道を極め、専門色を強めていく。何チャラの権威、神の手とかもてはやされる、それが大ボスのいう仕事なのか。

私はそのうち違う道を選ぼうと思いながら、とりあえず今の「仕事」を続けているうちに、大ボスの思惑どおり、その専門職集団のちょっとした指導者的立場にまでなってしまった。

だが、私は逆に、その専門色を極めれば極めるほど、その専門色に染められ囚われていく感覚に襲われる。「奴隷」とは「専門職」のことである。専門色を極めるほどに、自由を捨てているような気がする。捨てているような気がする自由とは何か。フリーなのか、リベラルなのか。

生きているうちに知るべき知識はもっと他にあるような気がする。それが最近の焦りといえば、そうなのかもしれない。

支離滅裂なのは草稿だから。

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