朝青龍の「病名」が発表されるたびに大騒ぎなマスコミだが、まあ一般の反応としてはそんなものなのだと思う。世間は、その精神が異常なのか正常なのか、病気なのかそうではないのかをはっきりさせたがるものだ。だが人の精神状態はそもそもいつも一定じゃない。誰だって悲しんだり落ち込んだりし、それが仕事や日常生活に差し支えることは珍しいことじゃない。精神は連続したものなので、そのある断面を切り取って異常か正常か判断することには、極端にいえば意味がない。俺は精神科医じゃないので当たってるかどうかは分からないが、精神科医にとって大事なことは、その人に元気になってもらって生活を取り戻してくれることであって、異常か正常かを判断することじゃないだろう。「診断」は治療のためのものであるべきだ。犯罪者の精神鑑定とかをやる精神科医の方は、門外漢が想像する以上に、さぞやご苦労なさっていることだろう。
マスコミの報道を見ていると、神経衰弱ではなく急性ストレス障害だとか、抑うつ状態よりは軽い(たぶん大うつ病と間違ってる)なんて書いてあるのもあって、やはり混乱しているようだ。そもそも、そのメカニズムが完全に解明されているとはいえない複雑な精神活動に関わる病気を診断するのだから、精神疾患の疾患名はその症状や状態を表す言葉になってしまうのは今のところ仕方が無いんだと思う。たとえば、身体疾患であれば、胃が痛い人に「胃痛症」という診断名はつけない。それにはその原因やメカニズムが判明した後に、「胃潰瘍」とか「胃がん」といった診断名がつけられる。ところが精神疾患ではそうはいかない。「うつ病」のことをシナプス間隙セロトニン欠乏症とか、セロトニントランスポーター機能不全とか呼ぶまでには至っていない。だから、やはり症状に基づいて呼ぶしかないのだが、どうしても医師の主観という問題を含んでしまう。憂鬱だ、といっただけで「うつ病」と診断する医師もいれば、動けなくなっていろいろと支障をきたすようになってからやっと「うつ病」と診断する医師もいる。でも確かなことは、精神疾患というのは複雑なものではあるけれども、明らかに同じメカニズムで起きていると思われる共通した症候群というものは存在する。たとえば、電車に乗ったときに死にそうなほど胸が苦しくなるという典型例で有名な「パニック障害」なんかは分かりやすい例である。だから、世界の精神科医たちは、ある程度その症状を客観的に評価できるように基準を決めた分類を作り、それにのっとってみんながなるべく同じ診断名をつけられるようにし、客観的なデータを集めることが精神疾患の正しい解明への道だと考えた。その代表的なものがDSMやICDである。そしてこれらの分類は、精神医学の、特に病理的器質的研究の発展とともに、それに合わせた改変改良が行われ続けているのである。
「急性ストレス障害」と診断した医師は、DSM-IVにのっとって診断したのだなということが分かる。ICD10ならば「急性ストレス反応」となる。ただし、これが長引けば、一般にもよく知られているPTSDということになる。ということからも分かるように、急性ストレス障害の診断では、そのストレスが生死に関わるような重大なものである必要があると思うのだが、日本相撲協会の処分が朝青龍にとって生死に関わるほどのストレスなのかというと、ちょっと疑問に感じる。「適応障害」が無難なところだと思うのだが、本人を診察していない非専門家のいうことなので、聞き流してください。では、「神経衰弱」と診断したあの医師はどうだったのかというと、DSM-IVを知らない不勉強なニセ精神科医なのか、それともどうせDSMの診断名を発表したところで素人には分からないので、素人にも分かりやすいように聞き覚えのある言葉「神経衰弱」を使用したのかもしれない。いずれにしても、朝青龍が協会の処分にショックを受けて抑うつ状態に陥っていることには変わりないわけで、それが「急性ストレス障害」だから、「神経衰弱」だからといって、治療法が大きく変わるわけでもなく、もちろん特効薬の種類が異なるわけなんかないのである。おそらく、休養、カウンセリング、抗不安薬や抗うつ薬の投与といったところが治療の中心となるはずで、あとは精神療法的なものに重きを置くのか、薬物療法に重きを置くのか、薬物の使いこなし方なんかの違いが、精神科医の腕の見せ所なのだと思う。前述したように、精神科医にとっては、患者が元気になって元の生活を取り戻すことが最重要なのであるから、住み慣れた母国で家族とともに過ごすのがよいのかと聞かれれば、それはよいだろうと答えるのは当たり前の話だと思う。モンゴルに帰るのがいかんのかどうかは社会的な話であって、協会関係者や相撲ファンがどう思うかの問題で、医学的に帰国が最適な治療なのかと聞かれても、きっと精神科医は困るんじゃないかと思うのだ。











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