■セバスチャン・サルガド AFRICA ~生きとし生けるものの未来へ~
ごぶさたしています。ジョン・レノビッチです。今年、もう写真展は終わってしまいましたが、サルガドが来日しましたね。私はその写真展のころからずっとサルガドの写真について考えて続け、今日ここに何かを書こうと思っていたのですが、結論から先に申し上げると、よい言葉が浮かびません。サルガドの写真をはじめて見た瞬間、私は圧倒されました。そのとき心に生じた変化は、やがて「美しい」というありきたりな言葉に置き換えられていきます。
上の写真、説明するまでもないほど有名ですが、エチオピア空軍の攻撃を避けるため、夜通し歩いてカレマ・キャンプに到着した難民たちです。サルガドの写真には批判もつきまといます。世界の悲惨を「美しく」撮っている、神聖めかしたレトリックであると。サルガドは人間の尊厳の美しさを捉えたといいます。美しく撮ったのではなく、そこに美しさがあったのだと。どんな人にも光は注ぐ、という発言には、たしかにカトリック的な背景も感じます(ブラジル人=カトリックという発想もまた短絡的ですが)。
スーザン・ソンタグが彼を名指しで批判したことも有名です。サルガドは多くの悲惨をひとまとめにしている。同情は的を失い抽象化される。苦しみや不幸はあまりに巨大でそれを変えることは不可能だと人々に思わせると。
ソンタグが問題にしているのは私たちがこのような写真を見たときの、それでいったい自分に何ができるというのだろうという無力感、やるせなさではないでしょうか。わざわざ名指しで批判したのも、裏を返せばソンタグもまたサルガドの写真の美しさに圧倒されたからではないかと私は思います。
悲惨な場面を美しく表現することの是非については、さまざまな難しい議論があるので、ここでこれ以上触れるのはやめにしましょう。私は写真家でも政治家でも評論家でもありません。
では写真を見る立場のひとりの普通の人間として、この無力感をどうしたらいいでしょう。同じような無力感に関するコメントを、私が4年前に「ハゲタカと少女」について書いたときにもいただきました。
私はここでスミルノフ教授が返答しているとおり、悲惨な写真を見て衝撃を受けたからといってすぐに行動を起こさなければならないということはないし、何もできない自分、恵まれている自分を責める必要はないと思います。私だって自称ミュージシャンとはいえ、やっと食いつないでいる無名の人間です。ジョン・レノンやボーノではないので、音楽で世界を動かすことは不可能です。
でも卑下することもありません。たとえ国を動かすリーダーになれたとしても、自国の目先の利益ばかりに縛られて、世界を変えることなんてなかなかできないのです。
私は無力だと、とりあえず落ち込んでいていいのです。今感じた無力感、挫折感は、将来あなたが国際的な平和に貢献する肥やしになるかもしれません。土木工事が得意だったあなたはふとしたきっかけからアフリカに水をもたらすかもしれません(例)。ビジネスチャンスを求めて海外出張した先で地雷撤去の達人になるかもしれません(例)。もちろん、なんの縁もきっかけも訪れないかもしれない、でも少しだけ周りに優しくなることで、あなたの周りからそういう人たちが、何かのムーブメントが起きるかもしれない。それでいいんじゃないだろうか。
2年ぶりの登場なので、いまひとつぎこちない乱文をお許しください。よいクリスマスを。
■WAR IS OVER! (IF YOU WANT IT)
Special thanks to Suchi.
ジョン・レノビッチ





Comments
すてきなクリスマスイブになりました。